幼い頃、父方の祖父母の家に泊まりに行って、

ドラム缶の風呂に入った記憶がある。祖父の勤務していたインク工場に隣接する借家は風呂がなく、工場へもらいに行っていたのである。

ずっとそう信じていたのだが、先日父と話していたら記憶の誤りだとわかった。ドラム缶風呂ではなく、大きな木桶であった。

工場で作っていたのも、インクではなく染料だったという。缶ピースのパッケージの紺色、あの色も作ってたんだよと父は言った。染料の大きな桶に工場のボイラーで熱した湯を張って、作業員の風呂としていたのだという。

まだ工場の廃液などは川にそのまま流していた昭和四十年代の事だ。祖父の家、というか工場周辺の道路は、こぼれた染料がしみ込んで青や紫のカラフルな色合いだった。酸っぱいような、少し鼻につんとくる匂いが常に漂っていたのを覚えている。

先月の100分de名著が宮本常一の『忘れられた日本人』で、歴史には残らない市井の人々のエピソードが色々と紹介されていたので、ふとそんな事を思い出した。

わたしが小学校に上がって少しして、東京から埼玉へ引っ越したから、祖父母の家を訪ねる事もまれになった。わたし以外のきょうだいは工場の風呂へ入った事はない。父もわたし言われるまで忘れていたようで、懐かしそうだった。これからも時々は思い出すかもしれないが、いずれは消え去ってしまうささやかな歴史のひとつである。

父から工場の名前を聞いて、グーグルマップで探してみた。記憶とほぼ変わらない表門の脇に、祖父母の家がまだ残っているのが見えた。もう誰も住んでいないらしく、玄関の引き戸には板が打ち付けられていた。