マンション七階くらいの高さの木が

ベランダから見える。朝カーテンを開けた時自然と目に入るので、枝の揺れ方で外の風の強さを想像したりする。先週は確か裸の枝ばかりだったはずだが、今朝ふと気が付いたらすっかり葉が茂っていて驚いた。毎朝見ていたはずなのに、自分の目の節穴ぶりに呆れるばかりである。

マンション七階というと相当な高さだ。木がそこまで育つにはどれくらいかかるのだろう。ひょろひょろの若木が切られも倒れもせず、ゆっくり伸びていく間、あたりはどんな風景だったのだろう。

マンションやビルが建ち並ぶのが当たり前になってしまった。再開発を名目に、最近は近所にも高層マンションがいくつもできている。販売チラシを見ると誰が買うんだという価格である。

「東京には空がない」と嘆いた高村智恵子が今の東京を見たらどう思うだろう。空どころか地面すらない現在の東京。

日本橋の空を遮る首都高が、地下を走るようになるらしい。どうせなら、今後の都市計画は中低層の建築中心の、「空が見える東京」をコンセプトにしたら・・・などと考えてしまう。

戦前の銀座を映したフィルムをみたことがある。広い道に市電が走り、人々が賑やかに行き交う町の上の空は広い。道の両脇に並ぶビルは、高いものでも七、八階建てくらいだろうか。ヨーロッパの旧市街はもっと低くて四、五階くらいのものが多いと思う。

それくらいのバランスが丁度いいんじゃないかなあ。建物のメンテナンスもしやすいし。池袋とか新宿とか渋谷とか、高層ビルの間を歩いていると息ができないような閉塞感におそわれる。すれ違う人はみんな下を向いて歩いている。

空を見上げると気分がいいんですよ。とても単純な事なんだけど。

霧のような雨が降っている。

雨は好きだ。人通りの少ない場所でマスクを外すと、普段は感じない土や草の匂いがする。都市部でも自然を感じられる貴重な機会である。

湿気と匂いはやっぱり関係あるのだろうか。我が家では梅雨時になると家中が獣臭くなります。慌てて床を雑巾がけしたりするけどあまり効果はない。カーテンや壁紙にもしみついてるんだろうなあ。

家の中から土砂降りの雨を見るのも好きだ。浮世絵のような雨脚や、屋根に激しく落ちるしぶきで煙ったような光景は、時間が経つのも忘れて見入ってしまう。

残念なのは雨音が聞こえない事だ。マンションだから仕方ないけどね。雨の魅力の半分は音にあると思う。

軒を伝い、庭木に落ち、土を打つ雨の音。雨粒に叩かれる葉の重たげなざわめき。こういうのは庭のある一軒家でないとなあ。

薄暗い部屋の中で、開け放した縁側から庭を眺める。まとわりつく湿気と耳を優しく浸していく雨音は、時間が止まったような感覚と心地よい倦怠感をもたらしてくれる。

昔の文人たちはそんな環境で筆をとっていたんだろうなあ。

シャンプーを石鹸に替えて三年ほどになる。

特にポリシーがあった訳ではなく、髪を短くしたついでに思い立っただけだ。

ここで「アレッポの石鹸」使ってますとか見栄を張りたいところだが、実際は長年愛用している牛乳石鹸赤箱である。リンスは洗面器のお湯にクエン酸を溶かしたの。オシャレな人が聞いたら絶句するかもしれん。

使い始め数日は若干ごわついたものの、その後は全然問題なし。乾けばさらさらだし手ぐしも通る。石鹸が白髪予防になるというのに根拠はないらしいけど、ちらほら見えていた白髪が最近少なくなった気もします。

石鹸を使う事の利点は、全身これひとつで済むという事ですね。あれこれ乱立していたボトルが消えて浴室がすっきりさっぱりした。掃除が楽でよろしい。

普段がそんななので、美容室でシャンプーしてもらうと、いい香りに包まれてうっとりする。こういう贅沢はたまにだからいいのだ。

美容室といえば、最近1000円カットの店が増えた気がする。近所の商店街には980円カットの店があり、開店前には中高年の男女が長い行列を作る。店ができた当初はそんな並んでなかったけどな。世は不景気という事だろうか。

朝十時前に買い物に出ると、商店街のあちこちに開店前の行列がある。ひとつはそのカットの店、それから電気治療器のある健康ショップ、あとはパチンコの整理券待ちである。

並ぶのが嫌いなわたしは、いつも感心しながらその横を通り過ぎるのである。

須賀敦子『ユルスナールの靴』

好きな文章のスタイルは色々あるが、その時々でぴったりくるものは違う。ごつごつとした手触りのする文章、高速で回転する独楽のような文章、よく切れる刃物のような文章。ここ数年は静かにしみこんでくる水のような文章が好きで、本を選ぶときの基準になっている。

須賀敦子の書く文章も、読んでいると自分の中にすうっとしみこんでくるものがある。かさついた心がしっとり潤う。

 

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いて行けるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、わたしはこれまで生きてきたような気がする。(プロローグ)」

 

「あんたは『○○にこう書いてあった』『××はこう言ってた』ばかりだな」

ずいぶん昔、二十代の頃の話だが、人に言われた事がある。恥ずかしくて反論のしようもなかった。大人の靴に小さな足を突っ込んで、得意になって歩いている子供。指摘した人にはさぞ滑稽に見えたことだろう。

年を経た自分を振り返り、さて合った靴は見つかったかしらと考える。

借り物の知識で終わらせるのではなく、自分の言葉にする事ができているだろうか。

せっかく手に入れた靴も、手入れを怠れば履き心地は決してよくない。汚れたら拭いて、こまめに磨いて、いつか柔らかくわたしの足に馴染んだら、どんな道でも歩いて行ける気がするね。

 

今日図書館で借りたばかりなので、まだ読み始め。もったいないから少しずつ楽しみます。

 

 

 

 

町を歩けば

木々の葉が目に鮮やかで、もう新緑の季節である。

うららかな春の日ってあったっけ。なんだか猛スピードで走り去ってしまった。散り残った桜の花が、ドップラー効果のように春の名残をひきずっている。

そういえば今年は菜の花を数えるほどしか買わなかった。八百屋の店先でもあんまり見なかった気がする。セリなんか一度も買わずに終わった。だって一把298円とかするし。

これからは豆がいろいろ出盛りだけど、空豆なんか好きだけどお高いですよね。ひとパック480円とか、貧乏人にはなかなかのハードルの高さである。

言いたくないけどさ、もう肉なんかほとんど買ってないぜ。厚揚げと納豆と魚肉ソーセージがわたしの蛋白源だ。おかげで血液検査のコレステロール値は花丸優等生だやっほう!

などと浮かれてばかりもいられない。

肉が買えぬならせめて旬の野菜を、というささやかな願いも、高値の前にあえなく立ち消える。結果として定番の、じゃがいもキャベツ人参ピーマンの組み合わせでがんばるしかない。今年はじゃがいもが比較的安いので助かっています。ドイツだったら主食だぜ、と思いながら毎日食っている。煮るよりバターやオリーブオイルかけて蒸し焼きするのが好き。スナップエンドウがあればもっといいんだけどなあ。

 

 

『ヴェラ 信念の女警部』

シリーズ途中からみたので、主人公ヴェラの過去がほとんどわからないのだが、長年父親と確執があった事、父の死後に彼の家で暮らすようになった事程度の設定しか明らかでないらしい。

ドラマの舞台はイギリス北部らしく、広がる草原や低い灌木、寒々とした海辺など、荒涼とした風景が独特の雰囲気を出している。

何の予備知識もないままみていたら、オープニング・クレジットにアン・クリーヴスの名前があって驚いた。彼女の『シェトランド四重奏』シリーズを読んでいたからだ。

わかってしまえば確かに、ドラマの舞台や物語の進め方には共通点があるように思われる。彼女の作品の面白いのは、第一線で現場に係る人々を徹底して描いている事で、警察小説ではお馴染みの、捜査に横槍を入れる俗物署長なんかは出てこないのだ。

事件の解明と犯人逮捕に至るまではホントに地道な作業なのだが、その過程で描かれる登場人物それぞれの葛藤や心情が、通奏低音のように作品世界をしっかり支えている。

彼女の経歴をみると、デビューからほぼ毎年のように作品を発表していて、かなり多作であるようだ。日本ではまだ『シェトランド』のシリーズと、他に一冊が翻訳されているだけだ。

ヴェラ・スタンホープのシリーズは本国で人気らしいのに(ドラマ化されるくらいだしね)、なんで翻訳されないのかな。主人公が中年のおばさん警部だからかしらん。

ドラマの中で彼女の私生活はほとんど描かれないけれど、荒野にぽつんと建つ一軒家の散らかり放題のキッチンで、ひとりウイスキーを飲むシーンは何度か登場する。どうやら家事全般苦手、というよりやる気が元々ない。セルフ・ネグレクトに近い状態にも見えるのはわたしだけかな。

仕事中毒で思い立ったらすぐ行動、誰に対しても臆せずずけずけと物を言う。外へ向けたエネルギーと、内にこもった時の無気力さが対照的で、原作の小説ではどう描かれているのかとても気になる。

大学の新学期に教室を探す夢を

久々にみた。構内をうろうろしながら、とりあえず学生課の掲示板を確かめに行ったり、階段教室を覗いてみたりする。すれ違う学生たちは皆それぞれ目的の教室へ向かっているように思える。わたしは教科書も持っていないし、どの教科を履修登録したのかも定かではない。

これは以前からよくみる夢なのだが、今回違ったのは、そもそも入学手続きをしていないのでは?と不安に駆られた事だ。焦りましたね。いまさら親には聞けないし。

別のパターンもある。

合唱団の定期演奏会の当日である。譜面こそ渡されているものの、わたしは一回も練習に参加していない。パートリーダーがステージの並び順を指示している。うろたえながらどう誤魔化そうか考える。歌えませんと言い出せる雰囲気ではない。そういえばステージ衣装はどこだ。靴もない。実家に取りに行かなければ。でも実家のどこを探せばいいのだろう。

己の計画性の無さ、いい加減さ、怠け癖を容赦なく糾弾される夢である。いや、糾弾するのもされるのも自分なんだけど。

確かに最近、家の片付けをさぼっていました。中途半端に移動した荷物をきちんとしなくちゃとも思っていましたよ。

気になってたんならやれよって事です。壊れた室内換気扇を取り外すとかね。取説で調べなきゃ。ああめんどくせえなあ。