今日の巳年の運勢は

「次々と問題起こるが平常心を保って吉」であった。

ふーん、と思いながら新聞を読み終えて、父と買い出しにでかけた。いつものスーパーへ晩の食材を仕入れにだ。ところが鮮度が悪かったり品切れだったりで買えないものがあったのだ。

小さな問題発生である。

なので一度戻ってから、少し離れたスーパーへひとりで向かったのであった。お目当ての食材は鮮度はよかったが予想よりお高く、どうすっかなと迷いつつ買い物を済ませて店を出て、かなり歩いたところで肝心のその食材を買い忘れたのに気がついた。
次々に起こりましたよ問題が。
戻るのは暑い。いつものスーパーで我慢して買うか。いや待てよもう一軒のスーパーなら。
そんな訳でかなりの距離を歩いて別の店へ。こんなことなら戻った方が近かったと軽く後悔したものの、結果は大正解であった。鮮度ばっちりお安いのが手に入った。
保ってよかった平常心。まあ暑くてぼーっとしてたというのもあるけど。
今日は図書館で新しい本も受け取ってきたのだ。おとつい読み終えたヘニング・マンケルの『苦悩する男』が実に鬱々とした展開で、しかもラストが、ラストが・・・。あれはあんまりだよ。考えようによってはむしろ幸せなのかもしれないが、それでも切なすぎるよー。
なので今回借りたのは『死が内覧にやってくる(アンデシュ・デ・ラ・モッツ&モンス・ニルソン著)』というコミカルな感じのミステリだ。ヴァランダー刑事の報われなさにこっちまで落ち込んでしまったからのう。これで少しは気が晴れればいいな。

「猫風俗」なるものを

体験する夢を見た。怪しいネーミングだが、別にいかがわしいサービスではなかった。猫がひと晩一緒に寝てくれるというものである。現れたのはピッピであった。いつものように枕を半分占領してゴキゲンだ。毎日の習慣になぜ金を払わねばならんのだと思った。料金は1100円であった。
もしわたしが作家なら小説のネタにしたかもしれない。でもそうじゃないので「1100円かあ」と目が覚めて思っただけだ。ちなみに税込み料金であった。
そして昨日は結局、買い物三昧の日となったのだ。といっても生活用品をあれこれ購入しただけなので、散財とは程遠いものである。大した金は使わずに、荷物だけが重かった。
懸案の棚は、ジャストサイズのがニトリに売っていた。帰って早速組み立てると、なかなかいい感じである。カラーボックスはちゃっちゃと分解してあとはゴミに出すばかりだ。すっきりしたキッチンが嬉しくて何度も見に行ってしまった。
まあね、趣味がなくてもこういうので気分転換できればいいわね。

危ないところであった。

今日は年休。珍しく前向きな気分が続いており、暑さをおしてSOMPO美術館へ出かけるつもりだった。お目当ては新聞広告で興味をひかれた『アルベール・マルケ展』である。方向音痴ぶりを遺憾なく発揮してしまった前回の反省から、再度行き方を確認しようと美術館のサイトを見ると、違うのだ。
なにが違うのですか。
『マルケ展』ではなかったのです。
サイトでは『山口華楊展』絶賛開催中なのである。えー。美術館を間違えたかしらん。不審に思いつつ、よくよく調べたら次回開催と案内されていた。新聞の広告は予告であったのだな。わたしのお馬鹿さん。
盛り上がった気分にすっかり水を差されてしまった。まあこの場合、盛り上がったのも水を差したのも自分なのだけど。
今更他の展覧会を見に行く気にもなれない。どうすっかな。
棚を探しに行こうか。
ぬか床の入った陶器の壺が、キッチンのカラーボックスの上にある。実家から持ってきたものである。最近そのカラーボックスがひどくぐらつくようになったのだ。調べると天板がネジのところから割れ始めていた。一抱えもある大きな壺だから、重さに耐えきれなかったらしい。計ったら10kgあった。
そもそも使い道のないカラーボックスを、間に合わせの隙間収納として使っていたのだった。だから壊れても惜しくはないのだが、代わりの棚をどうするかである。10kgのぬか床を載せるのだから丈夫なものでなくてはいけない。隙間に納めるからサイズも限定される。組み立て式のスチールラックなら丁度いいかもしれない。でもそうすると持って帰るの重すぎないか。
なんだか出かけるのが面倒になってきた。やっぱりぐうたら昼寝しようかな。

歯医者の定期健診が近くなると、

ある日突然歯に着色汚れが出現する。毎回そうなのである。つい数日前までは全く気づかなかった。なぜだ。
考えられる原因としては、歯磨きが疎かになっていたということだろう。自分ではしっかり磨いているつもりでも、歯ブラシの当たる角度などがいい加減だったに違いない。朝昼晩と日本茶や紅茶を飲んでいるからな。湯呑やティーカップだって、気がついたらぐるりと茶渋がついているのだ。少しづつ蓄積された汚れが、一定のレベルを超えると目につくようになるのだろう。
日々のデンタルケアに気のゆるみが出、歯の汚れにも気がつくようになったころ。歯医者の定期検診はそれを予測したうえで間隔を定めているのかもしれない。
ともあれ今日からはテッテ的に磨くのだ。まだ日数的には猶予があるからな。多少の着色は許容範囲としても、「これはさすがに・・・」と思われるような状態からは脱して健診にのぞみたい。
鏡を見たときは「キー!」ってなってティッシュでゴシゴシ擦っちゃったんだけど、これはかえって逆効果らしい。そういえば今朝の新聞の運勢欄は「悩みの種は尽きることがない。考えすぎちゃダメよ」であった。はーい。

ラジオの天気予報が、

「残暑」と言うようになった。いよいよ夏も盛りを過ぎたか。是非そうあってほしいものだ。
しかし残暑どころではないのだ。巷ではもう「おせち料理」の予約販売が始まっているのだ。このままでは、うっかりしているともう次の夏が来てしまうかもしれない。「ドッグ・イヤー」なんて例えもあるけれど、犬に限らず人の一年だって、あっという間に過ぎていくのである。
今朝のデザートには梨が出た。初物である。3人で分けて丁度の大きさであった。瑞々しくて美味かった。
弟の好きな果物は、完熟の桃かリンゴだそうだ。わたしは特にこれというものはない。我ながらつまらない奴だと思う。でも強いてあげるなら、極早生みかんだ。短い期間だけ店に並ぶ、皮が緑色をした小粒のみかんである。ちょっと酸っぱいけど、すだちにも似た良い香りがする。しかし他の家族の好みではないため、毎年買わずに終わるのであった。
窓の外には大きな入道雲が浮かんでいる。来月にはそろそろ鰯雲に変わるだろうか。空がどんどん高くなって、夕暮れがさびしく感じられるようになる。

秋は好きだ。短いのだけが玉に瑕だ。

昨夜はちょっとした諍いが、

父との間にあったのだった。自分からは働きかけず、ただ相手のアクションを待っているのはいかがなものかと思う。本人は「悪いから」と遠慮の姿勢を強調するが、「こっちはハンデがあるんだから察しろ」という本音が態度にしっかり現れていてイラつくんである。
まあそんな訳で腹立ちまぎれに飲みすぎたせいか、明け方早く目が覚めた。こういうときつらつら考えるのに碌なことはない。週末の午後をほぼ昼寝に費やしてしまった後悔と共に、自分が無趣味であるとあらためて気づいてしまったのであった。
読書も音楽を聴くのも生活の一部で、趣味というのにはちょっと違う。美術展に行くのは好きだが、土日は長時間の外出は無理だ。あと家でできることといえば、思い浮かぶのは片づけか掃除くらいか。趣味じゃなくて家事だもんね。困ったな。
やはりわたしは吉田健一の境地には至れないのであった。無為に時間を過ごせるというのもひとつの才能じゃなかろうか。

別に趣味なんてなくたって、毎日楽しく暮らせればいいんだけど。なんとなーくマイナス思考になってしまうのは、年齢的なメンタルの問題もあるのだろうか。ちょっとした気持ちの切り替えで楽になりそうな気もするのだが、それがわかりゃ苦労はしないのであった。

急須を探している。

別に失くしたわけではなく、買いなおしたいのだ。実家から持ってきたティーポットを割ってしまってから、わたしの使っていたガラスポットを代用品にしているのだが、やはりザ・急須が欲しいのだ。ということで昨日は商店街に数軒あるお茶屋さんへ探しに行った。常滑焼や萬古焼のものばかりであった。わたしはあの手触りが苦手である。
有田や伊万里の染付のやつとか、織部の深い緑のとか、そういうのがいいんだけどな。他に店にあったのは、妙に可愛らしい絵柄とか、わざとらしい民芸調とか、むーん、好みに合わないのだ。
なにしろせっかちなわたしである。ならば池袋へ行って探そうかと気がはやるのであった。でも百貨店で買おうものなら、それこそゼロが一桁違うお値段になるだろう。落ち着きましょう。どうどう。
商店街のレンタル店舗ではたまに陶器市をやる。そういうときに探せばくらいに思っているのがいいのだろう。こういうのは縁だからなあ。
急須を探すついでにリサイクルショップに立ち寄ったら、妹の好きそうなティーカップを見つけた。カップとソーサー全体に小花を散らしたウエッジウッドは税込み3000円。こちらは図らずもいいご縁であった。