『飛ぶ教室』で知られるエーリヒ・ケストナーの

お母さんは、まず結末から小説を読む習慣があったそうだ。どうなるかわかってないと安心して読めないという理由だと記憶している。

先日『特捜部Qアサドの祈り』を三分の二ほど読んだ時、わたしも耐え切れずラストあたりをちらっとめくってしまった。展開が。あんまり辛すぎて。もう。

極力ネタバレにならないよう部分的に拾い読みし、いけそうだと判断してから先へ進んだ。怒涛の展開に通勤電車を乗り過ごしそうになりながら読み終えた。満足である。

本来こういう心臓に悪いのは避けているのだが、好きなシリーズであるから仕方がない。まあ一作目から胃の痛くなる展開ではあったけれど、被害者が大変な目にあうのはとりあえず許容範囲である(ひどい)。でも主人公サイドの面々が辛い思いをするのはなあ。シリーズ後半になるにしたがってその傾向が強くなって、次回作もなかなかしんどそうでもあるのだが、あと二作で完結という事なのでなんとか頑張るつもりだ。

イギリスの警察小説に最近出物がないのもあって、北欧ミステリをあれこれ追いかけている。しかしめぼしいものはほとんど読んでしまったな。アーナルデュル・インドリダソンのエーレンデュル捜査官シリーズなんて、文庫になるの待てずにハードカバーを借りてしまった。他には北欧三国を舞台に「トナカイ警察」が活躍するシリーズを図書館で見かけたんだけど、全てトナカイがらみの事件らしくてまだちょっとピンとこない。それだけ聞くとなんかユーモアミステリみたいじゃないですか。

とりあえず次はドイツに国を移してネレ・ノイハウスを読むぜ。発表順で一作目にあたるのを借りてきたからね。明日からは大相撲の夏場所も始まるし、楽しみがいっぱいで嬉しいぞ。