亡き母と私は昔からそっくりだと

言われている。数年前に母の葬儀で受付をやった時、親戚や母のご友人方に「○子さん(母の名)が自分で受付してるのか思った」と言われた。皆さん笑いつつだったが、若干引き気味でもあった。

そんな似てるかなと自分では半信半疑だったのだが、先日ふと洗面所の鏡を見たら、年老いた母にそっくりな顔があってぎょっとした。あれは確かに心臓に悪かった。

顔認証システムが次第に浸透しつつあるらしい。千葉では「顔パス」で乗れるバスの運行が始まったとか。そういえば悪名高いマイナカードも導入してましたね。あっちはトラブル続きじゃなかったっけか。

でもどこまで信用できるのかな。片目にひどいものもらいができた状態でも認識されるのかしらん。虫歯が腫れて顔の輪郭が変わったりとか、失恋して飯も食えないくらい落ち込んでげっそりやつれちゃったりしたら。試合で顔ボッコボコに殴られたボクサーはどうなる。

それに「この世には自分を含め同じ顔が三人いる」と言うではないか。顔認証システムを利用した時に別の人間として認識されたら、いや違いますと言って信用してもらえるのだろうか。データではそうなってますと言う相手と押し問答するうちに、「自分という存在」がどんどんぐらついてきたりして、果ては哲学的な問いにまで発展してしまうかもしれない。

多少の誤差は許容範囲になるのかな。でもそしたら信用度は下がる気がするけど。

かくいうわたしは旧来の保険証とクレジットカードしか身分証明になる物を持たない。いずれ近いうちにそれらも通用しなくなるだろうが、意地でもぎりぎりまでねばるつもりである。