猫が鳴きながら

歩き回っている。ほっておくと次第に声が大きくなり、最後は絶叫に近くなる。

仕方なく呼んでやると露骨に甘えた声で走ってくる。しかしこれは自分の不満に気付いてくれたという安堵の声であり、甘えたいという訳ではない。要求が理解されたのではないとわかれば、また鳴きながらの徘徊が始まる。

飼い主の見当はずれに業を煮やしたらしく、近頃彼は小さな脳味噌を使うようになった。鳴きながら歩き回った後、次のような行動に出るのだ。

キッチンのカウンターに飛び乗ったら「飯よこせ」。

部屋のあちこちに体をこすりつけたら「構え」。

多分この解釈でいいのだろう。とりあえずは満足しているようだし。

また彼は、早朝に飼い主を起こす方法も編み出した。枕元に座り、前足でそっと.わたしの顔を触るのである。一見ほほえましいようであるが、実は微妙な感じで前足の爪が出ている。ニュアンスとしては、ナイフで頬をぴたぴた叩く感じ。うっすら目を開けると、「起きなきゃどうなるかわかってんだろ?」と言いたげな顔でこちらを見下ろしている。

やれやれである。

動物と話せればいいのに、とはよく聞くが、ちょっと待って。「言葉が通じる」ことと「意思疎通が図れる」はまるきり別の問題ではないだろうか。人間同士だってそうでしょう。同じ言葉を話しているのに、まったく話の通じない人って結構いるもの。

さっきまで鳴いていた猫がようやく布団の上で丸くなった。眠くて騒いでいたのか、それとも要求をあきらめたのか。聞いてみない事にはわかりません。