暑さにうだりながら買い出しに行ったら、

アロハ着た昭和天皇が自転車でふらふらとすれ違った。思わず「おお」と声が出るほどそっくりだった。いるもんだねえ世間には同じ顔が。

実家の父は筋金入りの軍国少年だったという。敗戦でその価値観を根元からひっくり返され、今は皇室が大嫌いだ。普段陽気で明るい父だが、その話題になると途端に顔つきが変わるのである。

笠置シヅ子の『東京ブギウギ』が大ヒットした時、『天ちゃんブギウギ』という替え歌があったそうだ。

「歌え天ちゃん、

 踊れ天ちゃん、

 苔のむすまで、Hey!」

笑顔で歌ってみせる父の、目だけは笑っていなかった。

朝ドラで戦後の町の様子が再現されていたけれど、わたしが小さかった頃も、繁華街の片隅にはまだ傷病兵の姿が見られたものだ。片手や片足のない体を包む白装束と、消え入りそうなハモニカの音色を覚えている。

わたしは昭和40年生まれだから、丁度敗戦から20年が過ぎている。今から20年前っていったら2004年、平成16年だ。アテネ五輪があり、自衛隊サマワに派遣され、新潟中越地震が起きた。

ずいぶん昔に思えるか、それとも昨日のように覚えているか、感じ方はひとそれぞれだろう。今年は敗戦から79年になるという。