桜が散り始めたと思ったら

幹線道路沿いのツツジだかサツキだかがもう満開。街路樹のハナミズキ(多分)も、おや新芽がと思ったのがつい先日だというのに昨日通ったら花が咲いててびっくりだ。

年末に容赦なく刈り込まれたイチョウの木も小さな葉が出てきたし、こないだまでただの枯れ木にしかみえなかったアジサイは、気が付けば葉がわさわさ伸びている。

植物のエネルギーはすごいな。

建物が取り壊された後の空き地が、あっという間に草ぼうぼう生い茂る小さな野原に早変わりだ。そういう場所はひと昔前なら格好の遊び場だったけれど、今はただ管理地の看板が建っているだけで子供の姿はない。

大阪在住の知人が以前、「東京はあちこちに緑があっていいな」と言っていた。こっちからすると、淀川沿いの桜とか大阪城公園とか緑が沢山あるじゃないかと思っていたのだが、もしかしたら整備された公園以外の緑の事だったのだろうか。

わたしの住むのは東京の外れに近い場末感漂う場所だが、めっきり増えたマンションの間に今でも古い家が点在している。たいがいはその辺の地主の屋敷で、ぐるりと巡らされた高い塀の内には、大きな木が何本もうっそりと繁っているのをよく見る。昔は屋敷森だったのかもしれない。

以前そんなお屋敷の前を通りかかったら、マイクロバスが一台止まっていた。お葬式かしらと思ってよく見ると、フロントガラスの上方に「○○講御一行様」とある。どうやらその家は講元さんらしい。富士山か大山か、これから出かけるところだったのだろう。立派な白塀と門構えの家だった。塀の向うに立派な桜の木が見えた。

それから数年も経たないうちに、塀も建物も取り壊され桜は切られ、今はアパートと駐車場になっている。