須賀敦子『ユルスナールの靴』

好きな文章のスタイルは色々あるが、その時々でぴったりくるものは違う。ごつごつとした手触りのする文章、高速で回転する独楽のような文章、よく切れる刃物のような文章。ここ数年は静かにしみこんでくる水のような文章が好きで、本を選ぶときの基準になっている。

須賀敦子の書く文章も、読んでいると自分の中にすうっとしみこんでくるものがある。かさついた心がしっとり潤う。

 

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いて行けるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、わたしはこれまで生きてきたような気がする。(プロローグ)」

 

「あんたは『○○にこう書いてあった』『××はこう言ってた』ばかりだな」

ずいぶん昔、二十代の頃の話だが、人に言われた事がある。恥ずかしくて反論のしようもなかった。大人の靴に小さな足を突っ込んで、得意になって歩いている子供。指摘した人にはさぞ滑稽に見えたことだろう。

年を経た自分を振り返り、さて合った靴は見つかったかしらと考える。

借り物の知識で終わらせるのではなく、自分の言葉にする事ができているだろうか。

せっかく手に入れた靴も、手入れを怠れば履き心地は決してよくない。汚れたら拭いて、こまめに磨いて、いつか柔らかくわたしの足に馴染んだら、どんな道でも歩いて行ける気がするね。

 

今日図書館で借りたばかりなので、まだ読み始め。もったいないから少しずつ楽しみます。