梅雨も明けないうちから、

というより梅雨入りもしていない東京は、既に夏の暑さに見舞われている。

二匹の猫のうち、臆病で普段あまり近寄ってこない方が、何故か膝の上でくつろぎたがるようになった。猫の体温は38度、人間は36度程度だからひんやりマット扱いされてるのかもしれない。フローリングの方がもっとひんやりしてるんじゃねえかな。かと思えばベッドカバーに頭からすっぽり潜って寝ていたりする。やっぱり猫は不可解な存在である。

容赦ない日差しとアスファルトの照り返しで受けたダメージを回復するのに、街路樹の木陰はまたとない場所だ。ビルの影、店の軒先の日よけなんかを伝い歩いていると何かのゲームでもしている気分になる。信号待ちは日影がなくて辛いね。まあ見晴らしよくしないとだから仕方ないけど。

「家の作りようは夏をもって旨とすべし」と兼好法師は『徒然草』に書いたが、当時より今の方がもっと切実な問題になっている。かといって気密性の高いマンションでは無理な話。なら町全体をそう設計する事はできないのかしらん。

樹木を増やし、暗渠になっている川を元へ戻し、かつて江戸東京が水路と共に発展した頃のような町並みが復活したらいいのになあと想像する。わたしの育った高度成長時代は排水垂れ流しのどぶ川ばかりだったけど、今はさすがにそうはならんでしょう。様々な企業がいろんなノウハウ持ってるはずですよ。

「再開発」といえば巨大ビル中心の商業施設、というのはいい加減止めましょうぜと言いたい。そう思っている人が増えてきたから、今抗議の声があちこちで上がっているんでしょうに。