今月の「100分de名著」はフロイトの『夢判断』です。

毎週末実家の父との電話でお互い感想を話し合っているのだが、父によれば「夢の中で自分はいつも教師に戻っている」との事だった。どんな内容であっても必ず舞台は学校なのだという。小学校の教師だった父にとって、教育にたずさわる事が人生の大部分を占めていたのだろう。

わたしの見る夢では、知らない場所に放り出されて茫然としているとか、駅の切符売り場で路線図をいくら調べても目的の駅がないとか、大きな建物(病院や旅館)の中を延々さまようとか、住宅街をひたすら歩くとか、まあとにかく移動に関するものが多いな。

これはどう解釈すべきだろうか。人生の目的が見つからない不安とみるか、あくなき探求心の現れとみるか。夢の中でわたしは、不安でありながら少しわくわくもしている。

面白いのは、さまよい続ける中でいくつか馴染みの場所ができる事だ。片田舎の夜道は途中必ず田畑の中に古い民家がある。複雑な構造の駅を抜けた先には百貨店があり、百貨店の一階には新刊の、七階にはマニアックな古書店がある。ハイキングコースを進んだ先には土塁のような迷路が続き、その先に嫌な雰囲気の寺院とものすごい磁場を感じる神画や神像があるのをわたしは知っている。

導入部はその都度違っても、途中から見覚えのある景色に変わる。夢の中のわたしは、「ああ帰ってきたな」と不思議な懐かしさに包まれる。

これはどう解釈したらいいのだろう。