洗い物の時に湯沸し器をつけなくなった時である。「水ぬるむ」は春の季語だけれど、あれは多分凍った流れが溶けだした様子を表しているんだろう。水道水が温かくなるのは貯水タンクが太陽光の熱を受けての事だろうから、梅雨明けの猛暑になれば今度は水道からお湯が出てくるようになる。
神奈川県の丹沢山系は、沢という字がついているのに飲める湧水が少ない。丹沢山頂のみやま山荘にある水場くらいではなかったか。鍋割山への登山口には水入りのペットボトルが積まれていて、登山者がボランティアで鍋割山荘までボッカする事になっている。
日光連山もあまり水場がなかった記憶がある。逆に八ヶ岳は水場が豊富で、美味しい水をごくごく飲めるのがありがたい。赤岳鉱泉の湧水で冷やしたビールが懐かしいなあ。
高尾山は山頂まで水道が引かれたので、ひと汗かいた後でのどを潤すのは東京の水道水だ。まあ安心して飲めるという点ではいいのかもしれない。そこから先の奥高尾には水場はないが、高尾山から離れるほど人が少なくなるのでわたしは好きだ。
水から山の話になったが、最後に登ってからもう十年近くなってしまった。クロゼットを片付けていると、テント泊用の大きなザックや雪山用のアイゼンが出てきて感慨深い。体力的なものもあるし、本格的な登山はもうやらないだろうなと思いつつ、処分する決心がつかないのが正直なところだ。