そんな飲み方を模索して幾星霜。未だ答えはみつからない。
若いうちはまだ飲み会という場で酒と付き合っていたからよかった。家で晩酌が日常になるとこれがよろしくありません。次第に酒量が増えていく。
人と飲んでいる時は、どちらかといえば酒より会話が主であると思う。店で飲む場合がほとんどだから、帰りの事も考えればまあ適当なところで切り上げられる。
これが家だと、わたしの場合飲む前に入浴は済ませる。後顧の憂い(面倒くさくなる)を断つためである。酒のお供は録画しておいたドラマや映画、あるいは図書館から借りた本など。
適当なつまみを用意して、まずビール(第三の)か缶チューハイを開ける。あの最初の一杯の解放感というのはなんでしょうね、ぱーっと脳天にチャクラが開く感じ。
それでまあ宴が始まる訳だが、ながら飲みはどうしてもピッチが速くなりがちである。意識が外に行きっぱなしだからね。酒はとっくに炭酸系から他のものに移行している。気がつけばワインのボトルが一本空になり、せっかく見たり読んだりした映画や本の内容は既に思い出せなくなっている。よろしくない。これはよろしくない。
そもそも何故わたしは酒を飲むのか。
1.ストレス解消
社会生活を営む上でストレスはつきものである。その解消の手段としてアルコールの力を借りる。けれどもストレスというのは「ためこむ」もので、ためこんだ上から酒やつまみを詰め込んでも更にぎゅうぎゅうになるだけではないだろうか。
2.時間つぶしの手段
休日の午後になるともう飲みたくなるのは、多分時間の使い方がわからないからだろう。趣味を楽しんだりすればいいのかもしれないが、前日の深酒のせいで何をするにも気力がない。平日は仕事をしているから暇を持て余す事はないけれど、なら休日も仕事するかと言われれば当然嫌だ。
3.酒が好き
もちろんです。不味いものを好き好んで飲む趣味はない。煙草はとっくの昔にやめたけれど、酒は死ぬまで飲み続けるつもりだ。
うだうだとこんな事を考えているのも、今日が休日で既に飲みたくなっているからである。ついでに思いついたが、どうも飲むピッチと酔いの回り方にはタイムラグがあるらしい。すいすい飲んでいるうちに、気がついたらへろへろという事が多々あるからだ。
もう一杯飲みたいなあと思う時には既に酔っている。わかってるのにどうしてその時は気がつかないんだろう。
職場の同僚にそうぼやいたら、「それができてりゃ悩まない」と片付けられた。はいそうですね。