朝のラジオから流れてきた

クライスラーの『愛の喜び』が、もう笑いが止まらん的な、お前そんなに喜ばんでもと呆れるほどはしゃぎまくっていた。聴いているこっちまで楽しくなった。後で調べたら、シュロモ・ミンツという名手の演奏でした。

気に入った音楽や小説、映画や絵画があるとあれこれ調べるのが常である。自分の感想を他者の評価や歴史的事実で裏付けして安心したいのだと思う。これはわたしの悪い癖で、そういえば数日前の新聞の運勢欄でも「芸術は頭で理解するのではなく体得するもの」と釘をさされていたのだった。

しかしある程度頭で理解する事が必要な場合もある。

月に一度、国立能楽堂の普及公演に通うようになってもう十年近くになるが、これには事前の下調べが欠かせない。作品の背景と謡の内容を頭に入れておかなければ、ただ漫然と舞台を眺めているだけになってしまう。確実に寝る。下調べしてもまあ寝てしまうのだが、「最初から最後まで爆睡」と「半分寝ながら観ている」では雲泥の差だ。

更に、謡と囃子は今の日本人には全くの異文化である。こっちは西洋音階とリズムに慣れているから、メロディーがあるようなないような、おまけにどこで拍子を取っていいかもわからない。

最初は理論的に理解しようとしたのだが失敗に終わった。謡の詞を追うのに集中すると、バックに絶妙なタイミングで囃子が絡んでくるとわかってから、作品の中にも入って行けるようになった。「頭で理解」したおかげでようやく「体得」まで辿り着けたという事か。まだ入り口にしかすぎないけれど。

公演の後は、誰か感想を書いていないかとついネットで検索してしまう。この悪い癖はなかなか治らないようである。